パンツァーファウストの誕生
ドイツ陸軍は1942年10月、対戦車兵器の開発を各メーカーに提示しました。そして、そのドイツ陸軍の開発要望に応えたのがフーゴ・シュナイダー社のラングヴェーラー博士です。
ラングヴェーラー博士は、1人の兵士でも取り扱う事のできる、使い捨ての無反動砲をコンセプトに設計していき、翌年の1943年3月に最初の試作品を完成させました。そしてこの兵器はパンツァーファウスト(戦車への拳)と名付けられます。
この完成された兵器は鋼管製の発射筒に促進薬の火薬が充填してあり、その先端には大きな成型炸薬弾頭が取り付けてありました。
弾頭の重量は3kgで射程は100mで、斜度30度、厚さ200mmの装甲板を貫徹する能力を有し、大半の連合軍戦車の装甲を貫徹する事ができました。
操作方法
発射の際の基本操作は、まず弾頭の安全ピンを外して畳んである照準器を上へ上げます。そこから発射筒を兵士の小脇に抱えるか、あるいは肩に乗せて構えます。
発射はプッシュ型のトリガーを押し、離すとスプリング力で撃針が雷管を叩き筒内の火薬に点火、成型炸薬弾頭が発射されます。弾頭は発射されると弾尾に付いた4枚の鋼鉄製の翼が開き、飛行を安定させ、毎秒30mと放物線を描きながら飛翔していきます。
ここで注意しなければならないのは、筒尾から出る噴流です。
点火された瞬間、推進薬のガス圧で筒尾のキャップが吹き飛んで約2mの噴流が出ます。なのでパンツァーファウストは後方に広く空いた場所、少なくとも後方10mの空いた場所でなければ使用できず、兵士の隠れる狭い陣地などからは撃てませんでした。それと信頼性の欠如もあり、約4.5%の確率で弾頭が発射できない問題もありました。
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実戦
上記のような問題はありましたが、ドイツ陸軍はその簡易的な設計から大量生産することを決め、パンツァーファウストは戦場のあちこちへ供給され始めました。
これにより、ドイツ軍はゲリラ戦のように様々な場所からロケット弾が撃てるので、パンツァーファーストは連合軍戦車部隊にとって悩みの種となりました。
なので連合軍は、前線で先に戦車を行かせるのではなく、味方の歩兵を先に行かせ、パンツァーファウストを持って待ち伏せているドイツ兵を掃討するという対策を取りました。
1944年のノルマンディー上陸作戦の頃には、パンツァーファウストの改良型が次々誕生し、初速が60mに延びたパンツァーファウスト60Mが開発され、その後も100M、150Mと開発されていきました。
しかし、改良型が次々と誕生しましたが、もうこの頃には連合軍の戦略爆撃で生産体制は完全に破壊されてしまい、特に1945年の春には、ルール工業地帯が連合軍の手中に落ち鋼鉄の供給が途絶え、火薬の供給も困難となりました。
それでもパンツァーファウストはドイツの敗戦まで使用され続け、ドイツ本土決戦ではヒトラー青年団や国民突撃兵に供給され、連合軍の戦車部隊に多大なダメージを与えました。
それと発展型の研究も最後まで続けられ、装弾すれば何回でも使用できるパンツァーファウスト250が計画されましたが、その前にヒトラーが自殺してしまい、結局、パンツァーファウスト250は完成できず、ドイツは敗戦を迎えました。
しかし戦後、パンツァーファウスト250を回収したソビエト軍が開発を続行し、RPG2の名称で完成させ、さらにその後、今日でも有名なRPG7の開発に成功しました。