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アメリカのコピー品?ドイツ版バズーカ パンツァーシュレック!!

パンツァーシュレックの誕生

ナチスドイツで実用化されたバズーカ(パンツァーシュレック)は、アメリカのM1バズーカを模倣して制作されました。

時はアメリカ陸軍が北アフリカ戦線に参戦した1942年、アメリカ陸軍は対戦車ロケット(M1バズーカ)を登場させました。この兵器の構造はとてもシンプルで、長いスチール製の筒からM6ロケット弾を発射できるようになっていました。

それを見たドイツ軍はこの兵器に興味を持ち、すぐさま捕獲し、本国に送り実験を行いました。以降、このM1バズーカはドイツ軍の戦術に大きな影響を与える事となります。

全体の設計がシンプルで尚且つ低価格(70ライヒス・マルクとMP40短機関銃より多少高い程度)で取り扱いやすいこのバーズカー砲は当時生産されていたRヴェルファー43ロケット砲の代わりとなり、RPzB43(パンツァーシュレック)の名称ですぐさま生産が始められました。
ちなみにそれまで生産されたRヴェルファー43はイタリア戦線か大西洋防壁の陣地防衛などに転用されました。

最大速度は毎秒100mから110mと遅く、最大射程が150m程度と短かったが、1人の兵士でも取り扱え、戦車を十分に破壊できる威力(60度の斜度で160mmの装甲板を貫通能力)を持っていました。

操作方法

射手はまずパンツァーシュレックを肩に乗せて簡単な固定照準具で目標を狙います。ロケット弾は温度の影響を受けるので摂氏プラス20度からマイナス25度の調節メモリが照準具に取り付けられていました。

安全装置はグリップの外側にあり、親指で押しながら、外側に回転させると安全装置が外れる仕様になっています。

発射の際はスプリングの付いたグリップ上部にある引き金を引くと電気コイルを通じて磁気化されたロッドが解放され、電流が雷管に作用してロケットが発射されます。

ここで注意するのはロケットは促進剤の微片で、射手はそれから身を守るためにガスマスクと手袋が必須でした。

それと無反動を得るため発射噴流が筒の後方に4mほど噴出していたので、射手の後方は噴流危険域となっていました。

改良型

1944年になると初期型のRPzB43は回収され新たな改良型、RPzB54に切り替わります。この型はロケットの噴流を避けるために、筒の前面に防止版が取り付けられました。
しかし、ガスマスクの着用は必要なくなりましたが、防止版が付いたので、重量が11kgと重くなりました。

1944年末にさらに改良されたRPzB54/1の生産が始まりました。
この型はRPzB4992というロケット弾が使用され、促進薬が発射筒を離れる前に燃焼するので、使用者に対する噴流の危険性が無くなりました。
それと全長は29cmも短くなり、重量も1.5kg軽くなったことで、携行性が良くなりました。

そこからパンツァーシュレックは対戦車兵器として重要な兵器となり、多くのメーカーが部品を製造して、戦場へ送り出していきました。

実戦

パンツァーシュレックはドイツ軍が期待した兵器ですが、実戦の戦車との戦闘では、とても微妙な存在となります。
連合軍はパンツァーシュレックの威力に一目を置いていましたが、ドイツが宣伝するほどの強力な兵器では無いことも知っていました。連合軍戦車は対策として、戦車の周りに砂袋を設置したので、パンツァーシュレックの威力を弱めました。それと東部戦線では、ソビエト軍戦車があらゆる方面から攻撃してくるので、最大射程が150mと短いパンツァーシュレックは、それら戦車団に応戦するのは無理がありました。

しかし、対戦車以外での近接戦闘では効果的な威力を発揮します。良く訓練されたチームは、1分間に4発から5発を発射することができ、市街地の建物や野外の要塞のような陣地では十分に活躍する能力を持っていました。

最終的にパンツァーシュレックは合計314,895基の発射機と2,218,400発のロケット弾が生産され、ナチスドイツを最後まで支えた対戦車兵器となりました。